続けることに意味があるんだろうな、ということについて

なんかポエムっぽいタイトル。

今年で30歳になり、責任も増えて、でも髪の毛なんかは減っていくし、お金もたまらないしでああしんどいな、生きるって、ってセンチメンタルになります。 なんかポエムっぽいと書きましたが、たぶんポエムです。

近くのプールには50mの屋外プールがあって、今日泳いできた。 夏の終わり、それは生ぬるい水の中ではなくて、入ったときに冷たいと感じる温度。 それは僕が10代、20代のころは、毎日のように泳いでいたので、ただ泳ぐだけではつらいという感情を抱かなかった。 だけど体は正直者だから、今ではたった200mを泳いだだけで、腕が上がらない、回らない様になっている。

少しづつ、ゆっくりと泳ぎつつ、30分ほど水の中で過ごしたあとはプールサイドで他の利用者の様子を眺めていた。 親子連れ、小さい子どもたちはボールで遊んでいて、お父さんは子供の面倒を見ていた。お母さんの姿は少ない。東京だからだろう、日に焼けることを嫌う女性が多いから、お父さんに子供の面倒を任せたのだろう。

僕はプールサイドで思い出していた。四六時中プールで過ごした日々、日に焼けた肌は焦げて色を変え、日に当たらない場所との境界がくっきり見える、引き締まった若い体。 だけではなく、そのときの、何時間泳いでも疲れなど感じないようなあの頃。若さと体力にあふれるとは、まさにそれである。 日焼けした肌はもう焼けることもなく、かれこれ5年以上も日にあたっていない肌は白い。 そして、あの頃の体力も筋力も、消えてしまった。

もう少し、例えば週3回は体力維持をしていれば変わっていたのかもしれない。が、おそらくそれをしなかったのは、続けないことを選択したから。 一方で、働きだしても、仕事を、たとえばプログラミングの勉強もしかり、最新技術の動向をチェックするなど、それは少しではあるけれど続けている。 やめるのは簡単だけれど、じゃあいつやめるのだろう。 でも、やめる必要はないのだろう。続けていけばいいのだろう。やめる必要はないはずだ。

昔のことを記録する。 たとえば2012年に書いた恥ずかしくもなる過去の話。 もしかしたらそれが残っているのはいいことなのかもしれない。 なんて、今日ぼんやりしてたら思ったのでブログに残します。 中身なんて、何もないよ、それでいいでしょ。