思考実験室

日々のつれづれ

声優とラジオと水谷フーカ『満ちても欠けても』と。

ラジオ――   ラジオとは、無線通信により音声を送受信する技術である。一般的にはラジオ放送やラジオ受信機の略称の意味で使用される。radiotelegraphy(無線電信)の短縮語を語源とする。レディオ、レイディオと呼称される場合もあり、古くはラヂオとも表記した。*1

 初めて聞いたラジオ番組はよく覚えてはいないけれど,確か10年以上前の中学生のとき,聞くようになったのはMDコンポを買ったせいだ。当時のMDコンポにはFMとAMの受信機が付いており,CBCラジオをよく聞いてた気がする。

 初めて送ったメールが読まれた番組は現在は解散しているチコチェアー(chicochair)のチカさんがやっていたラジオ。送った内容は覚えていないけれど,ラジオネームを決めてくれた思い出がある。「???」→「胸が高鳴る」→「救心(キューシン)」と,ラジオネームが「救心(キューシン)」と決まったりとか。

 大学に入ってからは当時放映していた「キミキス pure rouge」をたまたま視聴したことがきっかけでゲーム,そしてラジオを聞くようになった。その番組が水橋かおりさんと広橋涼さんがパーソナリティでやっていた「かおりと涼のキミキス チューニングポップ♪」。広橋さんのボケと水橋さんのツッコミのテンポがすばらしく,毎回更新を楽しみにしながら学生生活を送っていた。  とくに「キミキス」という恋愛ゲームを題材としたラジオであるため,シチュエーションを募集した「輝日南高校サッカー部」(主に広橋さんの妄想)というコーナーがあった。いわゆる茶番劇であるのだが,声を通して様々なキャラになり演じていたのがとても印象的であった。

 そんな音だけでしか繋がりを持てないメディアであるラジオを愛好している人が多いのも事実である。実際,僕は2014年5月現在,「未確認で進行形〜うまく言えないのでラジオで確認してください〜」,「僕らはみんな河合荘〜ラジオもみんな河合荘〜」,「高橋美佳子の の〜ぷらんでいこう♪」,「ゆいこ・ひさこのでかした!RanQueen!」といったラジオ番組を視聴しており,アニメ連動のものが終わっては,また新しいアニメ連動のラジオを聞くことを繰り返していくのであろう。

 ところで声優とラジオは良い組み合わせであるといえる。なぜなら,いわゆる茶番劇のようなものを普通のラジオパーソナリティが演じることは困難を極めるからだ。  まず第一に,キャラを演じるといった演技指導を受けていない。第二に,そもそも普通のラジオではそのような茶番を視聴者も求めていないということが前提とされているからだ。  翻ってみれば,声優とラジオの関係性は次のようにいうことができる。声優という個人のパーソナリティそのものに注目しているリスナーがいて,彼女/彼(ら)の声を通じて彼女/彼(ら)へと接続しようと試みる人びとがいる一方で,声優そのものは自らの才能として持ち合わせている声を通じた自己表出の場として機能しているのがラジオであると捉える事ができるのである。

 さらに視聴者側に目線を落とした場合には次のことがいえる。すなわち,本質的には<一対多>であるにもかかわらず<一対一>であると錯覚させる特性を持つメディアがラジオであるということだ。すなわち,声優オタクと呼ばれる人びとは様々なイベントに参加し,そこで声優に直接会うにも関わらずお話する機会もなく,なればお渡し会というイベントでは数秒の話をする機会を設けてもらうにもかかわらず,実際には世間話的なことしか話せず悔し涙を飲んだ彼らを救済するのが声優のラジオなのではないかということである。

 水谷フーカ『満ちても欠けても』の第1巻でラジオ番組のパーソナリティを務める天羽日向は,自身のラジオ観について,「映像でただ見るよりも 聞いている人の中ですごく膨らむと思うんです」(20頁)と述べている。  まさしくそれは映像メディアでは得られない,音声メディアの特性そのものを表現しているといえるだろう。

 声優は,音声を通してキャラクターに生命を吹き込む職業であることは通俗的な理解とされているが,それだけでなく,「聞いている人の中ですごく膨ら」ませしめる才能をもった特別な存在であるということを,われわれはラジオを通して知る事ができるのである。

満ちても欠けても(1) (Kissコミックス)

満ちても欠けても(1) (Kissコミックス)

満ちても欠けても(2)<完> (KCデラックス Kiss)

満ちても欠けても(2)<完> (KCデラックス Kiss)

*1:出典はWikipedia先生